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簿記の語源・由来は?【bookkeeping→ブッキー→ブキ→ボキは眉唾物】

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会計士のイラスト

はじめに

今年2018年1月にこんな記事を書きました。


タイトルに入れた『会計学の誕生』を読んでいます。

 

本書の前半は複式簿記の誕生にまつわる話が中心です(以下、簿記とします。単式簿記については割愛)。

本書によれば簿記の起源は13世紀初頭のイタリアにあるとのことです。

では、イタリアを発祥とする簿記が日本に入ってきたのはいつのことなのでしょうか?

そして、いつ誰が簿記という和訳をあてがったのでしょう?

『会計学の誕生』を読んでいるうちにそんな素朴な疑問が湧いてきました。

このエントリーではこれらの疑問について明らかにします。

なお、「簿記 語源」のクエリでGoogle検索すると検索2位・3位の記事がともにbookkeepingの語感が転じて簿記になったという説を紹介しています(2018年9月8日現在、3位の記事は帳簿記録・帳簿記入の略という説も紹介)

 

しかしながら bookkeepingの語感が転じて簿記になったという説は眉唾物のようです。

 

ではみていきましょう。 

簿記の語源とは?

簿記の語源については、その名もずばり『簿記の語源について』(西川考治郎)という文献(以下、[1]とします)があります。

簿記の語源について


引用します。

最初に日本へ来たポルトガル人およびスペイン人は、宗教に関して重要な足跡をとどめたけれども、経済商業に関する影響は希薄であった。いわんや簿記については、なんの形跡も残していない。然るに続いてきた英人とオランダ人とは、十七世紀の初め九州の平戸に、それぞれ東印度会社の商館を設けて貿易を営み、そこでイタリア式簿記を実施した。[1] p.33

 

日本で簿記(複式簿記)が使用されたのは17世紀の初め、長崎の平戸にオランダが1609年、イギリスが1613年に相次いで商館を設置したことが始まりです(平戸市 - Wikipedia)。イギリスの商館は1623年に閉鎖されています。

ご存じのように、日本はオランダ、イギリス以外にもスペイン、ポルトガルなどと交易を行っていた時期がありました。

ですが、江戸幕府がとったいわゆる鎖国政策により、日本と交易できる国はオランダに限られました。

その結果、簿記はオランダからのみ日本に伝わったとされています。

寛永の鎖国以後は、オランダ人だけがわが国と交通を許され、簿記も同国から入ってきた。[1] p.34

 

当時はまだ「簿記」という訳語は存在せず、1850年前後の資料によるとオランダ語の"Koopmans Boekhouden"は「コープマンス、ブークホーデン」や「コープマンス、ブックホウデン」と仮名があてられていました([1] p.34)。

それ以前の蘭日辞書にはBoekhoudenの和訳を試みた形跡が残っています([1] p.35)。

  • Boekhouden→商買ノ算用カ(1769年)
  • Boekhouden, Koopmans Rekening houden→算用書ノカクカク合フヤウニオク(1810年) 

とはいうものの、見ておわかりの通り、どこにも「簿記」という言葉はありません。まだBoekhoudenの和訳としての簿記は登場していなかったのですね。


商取引のための簿記がオランダから入ってきたことは間違いないでしょう。

ならば、オランダ語のBoekhoudenに「簿記」という和訳を用いた人物がいるはず。

Boekhoudenの和訳に初めて「簿記」を用いたのは誰で、それはいつのことだったのでしょう?

オランダ語のBoekhoudenの翻訳として最初に「簿記」が登場したのは1874年

Boekhoudenの和訳に初めて「簿記」を用いたのは津田真道(つだ まみち)のようです。それは1874年(明治7年)のことでした。

オランダ語の翻訳で簿記という字を用いた最も早い例は、津田真道訳「表記堤綱一名政表学論」(明治七年刊)である。[1] p.35

そこには、「国庫出納の事、悉皆精密にこれを簿記す」などと書かれているとのことです[1] p.36 。「表記堤綱」はオランダ・ライデン大学のフィセリング教授(弁護士から法学部教授に)による統計学の講義録(吉田忠, 2012.『統計学』第103号 pp.1-13)。

 

ここまでをごく簡潔にまとめるとこうなります。

  • 1609年、長崎・平出におけるオランダの商館設置により西洋式簿記が日本に伝わった
  • それから265年後、津田真道によってオランダ語のBoekhoudenに「簿記」という和訳があてられた

ただし、津田がなぜBoekhoudenの和訳を簿記としたのかについてまではつまびらかにされていません。

◆津田は1862年にオランダ・ライデン大学に留学、4年後に帰国。経歴は武士、官僚、政治家、啓蒙学者とあります( 津田真道 - Wikipedia)。1868年の明治元年後は新政府の司法省にいました。

実は「簿記」という言葉は1873年(明治6年)に刊行された「銀行簿記精法」にすでに登場しています。というのは、「わが国では西洋簿記の伝来以前から、固有のやり方で帳簿記入が行われていた」([1] p.39)からです。

実は、「簿記」という言葉自体は1871年(明治4年)1月の郵便規則や8月制定の大蔵省職制および事務章程の中ですでに用いられていました。

例えば「大蔵省記録寮には、簿記課という課が設けられ」「その所管事務は(中略)紙幣印紙公債証書の番号金額を簿記する事務を掌理す」、さらには1869年(明治2年)の集議院建白取扱規則に「姓名月日を簿記すべき事」とあるなど、簿記という言葉は「大蔵省を初め諸官庁の常用語」として明治初期から使われていました([1] p.43)。

ならば、西川による『簿記の語源』では指摘されていないものの、「簿記」という言葉は少なくとも官庁において1873年には十分浸透していたと考えてもやぶさかではないでしょう。1868年以降に司法省にいた津田真道が簿記という言葉を知っていてもなんら不思議ではありません。

福沢諭吉はbookkeepingを簿記とは訳さなかった

ちょっと話を戻します。

前項で「わが国では西洋簿記の伝来以前から、固有のやり方で帳簿記入が行われていた」([1] p.39)と書きました。

その固有のやり方とは「簿帳の法」と呼ばれるもの。商人の間では「帳合」と称されていたとのことです([1] p.39)。

そして、英語のbookkeepingを「帳合」と訳したのが福沢諭吉でした。それは1873年(明治6年)6月のことでした。

「帳合」をブックキーピングの訳語として用いたのは、福沢先生が初めである。先生は明治六年六月米人ブライアントおよびストラットン合著Common School Bookkeeping, 1871 を翻訳して、わが国最初の簿記書を著わし、書名を「帳合の法」とされた。[1] p.39 

 

「帳合」をブックキーピングの訳語として用いたのは、福沢先生が初めである」と書かれているように、bookkeepingを「簿記」と訳したのは福沢諭吉ではなかったのです。

やがて福沢も「帳合の法(帳合之法)」ではなく「簿記」を用いるようになるのですが、それは1879年(明治12年)頃以降のことでした[1] p.40。

bookkeeping→ブッキー→ブキ→ボキではない

ここまでの流れをちょっと整理しましょう。

  • 簿記という用語は1871年(明治4年)にはすでに官庁で使われていた
  • 福沢諭吉は1873年(明治6年)英語のbookkeepingを和訳したが、それは「簿記」ではなく「帳合」だった
  • 簿記は1874年に津田真道がオランダ語のBoekhoudenの和訳として初めて用いた

 

つまり、「簿記」という言葉は少なくとも官庁において1871年には使われていた言葉であり、しかもそれはオランダ語の和訳から派生したものではなかったのです。

となると、簿記の語源がbookkeepingからいくつかの変遷を経てボキ=簿記になったという説はあまりにもお粗末です。

西川はこう明言しています。

簿記という字は、英語のブックキーピングを、最初ブッキーと略し、それがブキとなり、ボキとなったのに、当てはめたものだという人があるが、茶話に過ぎないことは明らかである。[1] p.43

 

◆簿記の語源についてまとめます。 

  • オランダ語のBoekhoudenの和訳として初めて簿記を用いたとされるのは1874年の津田真道である
  • 福沢諭吉は1873年(明治6年)に英語のbookkeepingの和訳として「帳合」を用いた
  • 簿記の語源はbookkeepingの語感とはなんの関係もない

 

ただ、1つ気になることがあります。

それは、津田と福沢はともに明六社(明治初期の啓蒙学術団体の創設メンバーだったことです。 

明六社の設立は1873年(明治6年だから明六社)。官庁で「簿記」という用語がすでに使われていた後の出来事です。メンバーには官僚もいましたので、福沢の耳に「簿記」という言葉が入っていても何ら不思議なことではありません「当時、まだ簿記という用語は定着していなかった」とする論文もありますが、少なくとも官庁ではそうじゃなかったことはすでに述べた通りです)

それなのに英語のbookkeepingの和訳に簿記ではなく帳合を用いたのには何か理由があったでしょうか?

その解明は簿記・会計学の専門家の方たちにおまかせします。


このエントリーはあくまでオランダ語のBoekhoudenに対する和訳として簿記を用いたのは誰か?ということに焦点を当てました。

一方、日本における簿記の普及についてはまた別のお話があります。続きはまたそのうち。

ではまた!

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