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モンゴルの合計特殊出生率低下は1990年の政治経済体制がもたらした

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はじめに

少子化問題に少しでも興味ある方は目を通していただければありがたいです.次のエントリーを読んで疑問に思ったことについて書きました.

少子化の原因が分かったので対策書く/書籍『失敗すれば即終了』の補足 - デマこい!

モンゴルの迷走

 Rootport(id:Rootport)さんが示したデータの中に,統計を追うだけでは理解できないことがもう一つありました.それは,モンゴルの1人当たりGDPと合計特殊出生率の関係についてです.

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Rootportさんは,モンゴルのグラフについてこう述べています.

(14)モンゴルは1人あたりGDPのグラフがまるで酔っ払いの足取りのようにランダムな動き方をしている。フィリピン等にも言えることだが、「経済的豊かさが少子化をもたらす」という仮説では、大規模な景気後退期に合計特殊出生率が上がらない理由を説明できない。ゲーリー・ベッカーらの主張どおり、子供が(ジャガイモ等と同様)下級財だとしたら、所得が減った際には子供の数は増えるはずだ。しかし、現実には一致しない。

 

図を見る限り,合計特殊出生率が4.5くらいになったあたりでなにか特殊要因があるのでは?と思わざるを得ません.国レベルで何か大きな政策の変更があったのではないでしょうか?

モンゴルの合計特殊出生率の変化はいったい全体何と対応しているのでしょうか?

データ

Rootportさんによる図のデータはフローニンゲン大学GGDCマディソン・プロジェクトデータベースによるものとのこと.これは1人当たりGDPを用いてます.

しかしながら,1人当たりGDPが国力の指標としてふさわしいかどうかには疑問があります.例えば2014年1人当たりの名目GDP(USドル)ランキングの1位はルクセンブルク,2位はノルウェー,米国は11位,中国はなんと80位.それだけ中国は貧富の差が激しいのでしょうけれど,中国の国力が世界80位と聞いて腑に落ちるでしょうか?

世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング - 世界経済のネタ帳


そこで,マディソン・プロジェクトデータベースの1人当たりGDP人口を掛けてモンゴルのGDP近似値を計算し,1960年以降の推移見やすくするため棒グラフを作りました.

モンゴルの人口はこちらのデータを用いました.人口ピラミッド: モンゴル国 1960
グラフの折れ線にマウスを当てると各年の人口が表示されます.
 

モンゴルの合計特殊出生率低下をもたらしたのは1990年の政治経済体制変化である

ではグラフを見てみましょう. 

 

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この図を見る限り,1990年以後モンゴルのGDPは1989年を上回っていません(1人当たりGDPも同様です).

実は,モンゴルはソビエト崩壊後の1990年に一党独裁体制から複数政党制へと政治体制が変わり,経済体制も市場経済になるという大変化があったのです.

駿河(2005)モンゴルの市場経済への移行と社会保障にはこう書かれています(太字・赤字は筆者による).

国名もモンゴル人民共和国からモンゴル国へと変わった.モンゴルは急進的な移行政策を採用し,財政,金融,貿易,民営化,私有化など多方面で移行政策を実施した.(中略)急進的移行政策は,マイナス成長,激しい物価高,急激な製造業の縮小など大きなショックを社会に与えた.
 こういった激しい経済社会構造の変化に対して,人々は出生率の低下,牧畜業への流入,都市インフォーマル部門への流入,海外への出稼ぎなどの行動によって対応していった.


Rootportさん作成の図を見ると,合計特殊出生率が約4(世界銀行によるローデータによると4.052)になったときからモンゴルの「迷走」が始まっています.これはちょうど1990年,モンゴルの政治経済体制が変わった年なのです.

駿河(2005)の引用を続けます.

社会主義時代は人口増加政策が採られて,4人以上子供を産んだ女性は50歳で年金が出る(通常の女性は55歳),手当てが出るといった優遇策があった.その上に,避妊器具,堕胎手術といったものは厳しく禁止されていた.避妊危惧使用,堕胎手術の解禁,たくさん子供を産んだ女性への優遇措置がなくなるとともに,市場経済化に伴う収入,雇用への不確実性の増加が出生率の低下をもたらした.(中略)合計特殊出生率は1984年から1989年にかけて平均5.4であったものが,1990年には4.5,1993年には早くも2.5になり,2003年にには2.0にまで減少している.結婚率は低下し,初婚年齢も高くなっている.

 

つまり,モンゴルの合計特殊出生率低下をもたらした最大の要因はモンゴルの政治・経済体制の変化なのです.

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モンゴルにおける合計特殊出生率の減少にもっとも効いているのは,駿河(2005)の指摘通り,子供を4人以上もつことによるインセンティブが働かなくなったこと、と考えるべきです.

太平洋戦争終了後,日本では合計特殊出生率の急減,そして人工妊娠中絶数の急増がみられました.

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http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0509_9.pdfより)

 

その最大の要因は1948年に施行された優生保護法と思われます(この点については拙エントリーを参照ください).


日本もモンゴルも,ある一時期の合計特殊出生率の変動については,景気うんぬんよりも政治経済などの社会情勢が大きく影響していました.統計データを追うだけでは変化の要因を説明することは決してできないのです.

おわりに

ここから先は蛇足です.

Rootportさんはこう述べていらっしゃいます. 

【2016/1/19 10:30 追記】

合計特殊出生率が4.0以上から2.0前後まで下がった現象と、2.0前後から1.5以下まで下がった現象は別だと考えるほうが自然だという指摘があった。しかし、なぜ「自然」なのかよく分からない。

 

繰り返しますが,日本では1949年の母体保護法(優生保護法)の施行,モンゴルでは1990年から始まった政治経済体制の大変革がそれぞれの国の合計特殊出生率の変動をもたらしています.少なくとも日本とモンゴルについては「合計特殊出生率が4.0以上から2.0前後まで下がった現象」と,「2.0前後から1.5以下まで下がった現象」は別だと考えるほうが自然でしょう.



なお,Rootportさんはこちらの記事ではこう述べていらっしゃいます.

どんなに優れた意見であっても、ソースが無ければ九仞の功を一簣に虧く。能書きはいいからソースを示せ。それがネット上で議論をするときの鉄則であるはずだ。

低所得化や教育費の高騰は少子化をもたらすか?/書籍『失敗すれば即終了』の補足(2) - デマこい!

 

この記事は2016年2月に拙ブログにてすでに公開したものに加筆修正したものです.もちろんソースも提示しています.しかしながら,Rootportさんからの答えは彼のブログには未だにありません(注:記事執筆時点).所詮その程度の方,ということなのでしょうね.

以上です.

引用文献:駿河輝和(2005) モンゴルの市場経済への移行と社会保障.『特集:成長するアジアの社会保障』.海外社会保障研究.Spring 2005,No.150,pp.65-76.
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/17690406.pdf

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