はじめに
●某女子大で生物系の講義を担当中の尾巻講師(いつも白衣着用)が,3校時目が始まる前の昼休みに教室でプリント配布の準備をしているところ,大学3年生の都子さんが駆け寄ってきました(注;フィクションです.悲しいけどそんなことはまずありません).
●都子さんは尾巻講師のとある講義を履修していて,人間が耐えられる高度がどれくらいなのかという話を聞いています.
●尾巻講師はPowerPointを使わずに講義しているので,講義で配布するプリントはさほど多くありません.
この前提のもと,フランセス・アッシュクロフト著『人間はどこまで耐えられるのか』についての書評を,2人の会話形式でお送りします.なお,登場するページ数は2002年7月発行第2刷のものです.
女子大生と講師によるの会話
(印刷室混みすぎだよ.先生方みんな大量のパワポファイル印刷を講義直前にするんだから・・・)
あ,尾巻先生!ちょっとちょっと!!「はてな」見てたら前に講義で聞いた内容の記事がホッテントリ入りしてたんですよ!
今どきの女子大生は「ホッテントリ」なんて言葉知ってるんですね・・・で,どの記事なの?
この挿絵,講義で使ってましたよね!
そうそう.フランセス・アッシュクロフト著『人間はどこまで耐えられるのか』p.29の挿絵だよ
挿絵の下にはこう書いてある.
「ジェイムズ・グレイシャーとヘンリー・コックスウェルの気球.推定高度1万1000mまで上昇した.グレイシャーは意識を失って倒れている(注,挿絵右の人物).コックスウェルは低酸素症と寒さで両手が麻痺したまま,歯でロープを引っ張って放出バルブを緩めようとしている.そのかたわらで,かごの中のハトは平然としている.」
ハトは講義でふれなかったね
言われてみればハトは平気っぽく描いてありますね〜
本文(p.28)を引用するよ.
「グレイシャーは1862年に,イングランド中部のアルバーハンプトンで気球家ヘンリー・コックスウェルの気球に同乗した.離陸から1時間で高度約8,500mまで上昇し,グレイシャーの水銀気圧計は247mmを指していた.気球はどのくらいまで上がったかわからない.もはやグレイシャーには気圧計の目盛りがはっきり見えなかったうえ,気圧計が正常に機能していたかどうかもわからなかった.」
そのあと,高度1万1,000mあたりで挿絵の状況になるんですか〜.命懸けなんですね
本当に冗談ではすまないんだよ.
グレイシャーたちの挑戦から13年後,3人のフランス人科学者が気球で高度8,000mまで上昇したんだ.彼らは酸素供給装置をぎりぎりまで使わないと決めてたことが仇になって,装置を使うことなく全員意識不明,2人が亡くなってるんだ(p.28)
((((;゜Д゜))) 重度の低酸素症になったって書いてあります(p.28).
秘密兵器が秘密のまま終わったんですね・・・
エベレスト登頂の話ものってる(pp.30-33).
人間と高度との闘いは,結局「高山病との苦闘」(p.26)の歴史なんだ.そして,「気圧」についてもトリチェリやパスカルから簡単に説明しているよ.「トリチェリの真空」は前に講義で話したね
zzzzz
「トリチェリの真空」の話するとみんな眠ってしまう・・・
もうすぐ講義の時間だから起きてくださいね
あ!すみません.てへぺろ.お昼ごはん食べたばっかりで物理のことを聞くと,眠気に耐えられないんです〜
それはわかる.そろそろ切り上げるけど,面白いのは「飛行機の窓が割れたら」という項だね(pp.36-40).私たちが普通乗る飛行機の高度は1万1,000mくらい
この高度で飛行機の窓が破れると,客室内の空気が外に吸い込まれて飛行機内の気圧は外と同じまで下がっちゃうんだ.「室温も外気と同じ寒さまで下がり,機内はきめ細かい霧に包まれ,冷却された空気が気化しはじめる.すぐに酸素マスクを着用しなければ命にかかわり,肺の中の酸素が急激に減少して,30秒ほどで意識を失うはずだ.」
静かに座っている分には酸素マスクを着用していれば大丈夫みたいなんだけど,動くと危険らしい.だから飛行機のCAは,「高高度で異常が生じた場合に,適当な高度で機体が水平になるまで座っているよう訓練を受けている(p.37)」とのことなんだ
CAに助けを求めても無駄無駄ってことですね.窓が破れたら仗助のクレイジー・ダイヤモンドに直してもらわなきゃ(ジョジョネタでごめんなさい)
僕はCAといえばSQ(シンガポール航空)の制服を思い出すよ.
それはともかく,この本は,著者自らキリマンジャロに登って高山病になった話なんかも添えていて,通り一遍の知識本とは一味違うんだ.もちろん,暑さ,寒さ,高度,海の深度などへの人間の挑戦の歴史とデータがふんだんに盛り込まれている.良書だよ
じゃ,読んでみます〜(そのうち)
『人間はどこまで耐えられるのか』
本書は,極限の環境における人間の生理学的な反応を説明しながら,人間が生きのびる限界を探る.冷凍庫に閉じ込められたとき,氷の下に落ちて動けなくなったとき,砂漠に取り残されて水がないとき,私たちの体はどうなるのだろう.優秀な登山家は無酸素でエベレストに登るのに,同じ高度で飛行機の機内が急に減圧したら,乗客が数秒で意識を失うのはなぜだろう.地球に期間した直後の宇宙飛行士は,立ち上がるときに失神しそうになるという.深海に潜るダイバーは,骨の組織が破壊されるという.これらの謎を解明するために,多くの生理学者が体と頭を使って挑戦してきた.(p.11)
会話のフキダシにも書きましたが,フランセス・アッシュクロフト(1952年生まれイギリス・オックスフォード大学の生理学部教授)著『人間はどこまで耐えられるのか』は,暑さ,寒さ,高度,海の深度などに対する人間の挑戦の歴史と,主に生理学に基づくデータの数々を手がかりに,人間が耐えられるのはどこまでなのかを明らかにすることによって,人間という生物の特徴をわかりやすく浮かび上がらせることに成功した本です.
それもそのはず.本書は,「もともとライフサイエンスの研究者が一般読者向けに書いた本を対象とする賞をめざして書かれた」(p.369,訳者あとがきより)ものなのですから.
目次
目次は以下の通りです.各章には項目がたくさんあります.例として4章のみ紹介しておきます.
また,1章〜4章は著者の体験や近親者の事例をプロローグとしています.「温泉の至福」(pp.127-130)は指宿の砂風呂に行ったことが書かれています.
キリマンジャロに登る
第1章 どのくらい高く登れるのか
思い切って飛び込む
第2章 どのくらい深く潜れるのか
温泉の至福
第3章 どのくらいの暑さに耐えられるのか
第3章の冒頭は,指宿の砂風呂体験(「温泉の至福」pp.127-130)をプロローグにしたあと,こんな描写から始まります.
18 世紀も終わりに近づいたある朝,ロンドンのロイヤル・ソサエティーのチャールズ・ブラグデン会長は,数個の卵と一枚の生肉,そして一匹の犬とともに気温 105℃の部屋に入った.15分後,卵は固ゆでになり,ステーキはかりかりに焼けて,ブラグデンと犬は元気に歩いて出てきた.(中略)ブラグデンがはっき りと証明したように,人間の体は105℃の気温にも15分近く耐えられるのだ.この章ではその理由を探っていこう.
冷たい水のブルース
第4章 どのくらいの寒さに耐えられるのか
寒さと戦う 体感温度と凍傷 脂肪の毛布 5200年前のミイラ 北極の海で 運動後のビールにご注意 「死」からの生還 濡れたつま先 凍傷 エスキモーと探検家 寒さが命を救う ペンギンとホッキョクグマ 極地方の生命
第5章 どのくらい速く走れるのか
第6章 宇宙では生きていけるのか
第7章 生命はどこまで耐えられるのか
各章にはところどころコラムが掲載されています.例えば「温度計の歴史」(pp.139-141).日本では温度の単位に摂氏を用い,表示を0℃〜100℃にした百分目盛りをの温度計を使っています.これは氷点を0℃,水の沸点を100℃と設定したアンデシュ・セルシウスによるものだとか.
また,華氏という温度の単位は英語でFahrenheit(ファーレンハイト).これはガブリエル・ダニエル・ファーレンハイトが製造した温度計にちなんでいます.
これらのコラムがよいスパイスになってます.
まとめ
筆者が持っているのは第2版,2002年発行のものですので,アップデートが必要な情報も含まれています.
例えば,第5章のp.264にはこうあります.
ハウンド犬種のホイペットは時速約56キロ,ジャックウサギは時速約40キロ,アカキツネは時速約72キロで疾走する.アンテロープは時速100キロ近く,チーターにいたっては,最高速度は時速110キロを超える,人間と同じく二本足のダチョウも,時速約56キロで走る.
ヒトとの比較に用いるならヒト以外の霊長類を対象に含めるべきですが,残念ながらここには登場していません.ちなみにヒト以外の霊長類最速の種はアフリカの草原に生息するパタスモンキー.研究者がパタスモンキーを車で追いかけたときの速度計が時速55キロでした(中川尚史著『サバンナを駆けるサルーパタスモンキーの生態と社会』,p.60).
出版後に記録更新された情報は修正する必要がありますが,本書は人間という生きものに興味がある方はもちろん,特に興味があるわけじゃないけれど知っておきたいという方には一読する価値があると思います.
もちろん,生物系・環境系の講義を担当している教員の方が,講義のネタとして用いても良いかもしれません.