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性病の世界史【2016年の書評】

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『性病の世界史』

『性病の世界史』は,2003年に出版された『王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史』の文庫版である.


著者ビルギット・アダムは1971年生まれの作家・翻訳家.本書の執筆時はまだ30歳そこそこのうら若き女性だった.

著者の属性は本の内容に関係ない,そう思いたいが決してそうではない.少なくとも私から見れば「若い」女性が性病をどんな切り口で語っているのだろうとよこしまな思いを持ちながら読み始めた.

しかし,ばっさばっさと袈裟斬りチョップをかましているかのような文章に唖然とさせられた.

第1章 性病とは,その赤裸々な事実

第1章では性病についての基礎知識を紹介している.本書の対象となる性病は主に淋病梅毒である.

梅毒
がヨーロッパに蔓延したのは15世紀の終わり頃.しかし,それよりもはるか以前からヨーロッパは性病に塗れていた.

第2章 梅毒にむしばまれたヨーロッパ

この章冒頭では旧約聖書の一節や紀元前の偉大な医師ヒポクラテスの著述に淋病の症状が読み取れること,さらにこの病気が性の交わりによって媒介されたことを当時の風紀の乱れようとともに紹介している.

たとえば,『旧約聖書』の「レビ記」に淋病についてのべた有名なくだりがある.「もし,尿道の炎症による漏出があるならば,その人は汚れている.漏出による汚れは以下のとおりである.尿道から膿が出ている場合と尿道にたまっている場合.以上が汚れである.漏出のある人の寝床や腰掛けはことごとく汚れている.その寝床に触れた人は自分の衣服を水洗いし,身を洗う,その人は夕方まで汚れている」(「レビ記」15章1-2)

 

「白くて少し黄色がかったかたまりが排出される.患者は排尿すると,針の先で刺されるような痛みを感じるのである」(ヒポクラテス「婦人病について」第2章第8節)

とりわけ悪名高かったのは,皇帝クラウディウスの妻メッサリーナの男漁りで,その取っかえ引っかえのすさまじさのゆえに「色欲魔」の名とほしいままにした.(中略)15歳で33歳年宇rの皇帝の妻となり,ただ義務感から夫のために二人の子を産んでしまうと,こんどは別口の快楽を求めだした.欲しい男を目にすると,皇帝の威をかりてこれをおどし,無理やり自分の情夫にしてしまうのだった.だが,これだけでは欲情を満足させることができず,(中略)セックス・マラソンなるものに参加して,ローマでもっとも名高い娼婦に闘いを挑み,みごとに勝利をおさめた.このとき彼女はなんと一晩で,25人の男たちをへなへなにしてしまったという.

不倫,乱交,同性愛といったローマ人たちの頽廃は,性病がはびこる格好の温床であった.同時代の文筆家コルネリウス・ケルスス(紀元前25頃〜後50頃)は,医学的観察かを記した著書のなかで「陰部の疾患」を取り上げて,陰部や肛門にはさまざまな潰瘍やいぼができること,そしてこれらの原因は精液漏れによるものとしている.

 
中世ヨーロッパの大きな出来事の一つは,コロンブスによる新大陸発見である.しかしながら,コロンブスたちが新大陸から持ち帰ったものは,ジャガイモや煙草やオウムや金塊だけではなかった.梅毒をも持ち帰ってきたのだ.

1493年3月15日,コロンブスの船団がスペインのパロス港に帰り着いたときには,すでに船員たちの何人かは梅毒におかされていた.コロンブスは部下たちとともにまずはじめセビリヤに行き,それから海路バルセロナにむかった.甲板の上で長い禁欲生活を強いられていた船乗りたちは,港に着くやなにはともあれ娼家に駆け込んだ.ほどなくして最初の発病者があらわれた.当時バルセロナで病気にかかった船乗りたちを診察した医師,ルイ・ディアス・デ・イスラ(1462〜1542)は次のように報告している.「神の御心によって,これまで知られていなかった新しい病気がわたしたちのところへもたらされた.それがはじめて姿をあらわしたのはこのバルセロナの町で,1493年のことである.はじめにこの町で広まり,その後,ヨーロッパ世界全体に伝染した.」

なお,コロンブスが梅毒を持ち帰った説を支持しない説があることについても著者は第二章で検討している.

梅毒がヨーロッパに広まった最初の原因は,新世界への航海から無事もどってきた船乗りたちが傭兵としてイタリア戦争をはじめとしたヨーロッパ各地で繰り広げられた戦争に参加したためという.

また,古代からさほど進歩したとはいえない中世ヨーロッパの性風俗も梅毒が拡散した温床になっている.特に,本来は清潔を保つための浴場が欲情の場に変貌したことを「中世の欲情は楽園だった」という小見出しを付け,2ページ強を費やして紹介している.

さらに,性の放蕩に明け暮れていたのは庶民や貴族のみならず,教会の僧侶や修道女までもが,というより修道院は「むしろ悪の巣窟」であり「あらんかぎりの淫行がおこなわれていた」ことを,さらにはローマ教皇が自ら手本となるかのように梅毒に冒されていたであろうことを指摘している.

ここまでくれば王様や文化人が登場しないはずがない.第2章で梅毒に冒されたとされる主な著名人をあげてみよう.

教皇ユリウス2世,レオ10世,アレクサンドル6世,チェザレ・ボルジア,ルクレチア・ボルジア,フランス王フランソア1世,イギリス王ヘンリー8世とその妻キャサリンおよび生き残った唯一の子メアリー,ロシア皇帝イワン4世,ピョートル大帝,デンマーク王クリスティアン7世,ボードレール,ベートーベン,ゴーギャン,マネ,モーパッサン,ニーチェ,シューベルト,スメタナ,スウィフト,ハイネ,ゲーテetc.

著者は,証拠は残っていないけれどベートーベンの耳が聞こえなくなったのは梅毒のためと推測している.実際,聴覚障害は神経梅毒の一症状とのことなので,可能性は高いかもしれない(作曲家の病歴2. ベートーヴェン).

シューベルトも梅毒患者であったと推測している.シューベルトは,医師から腸チフスと診断されたらしいが,それこそが梅毒の証左かもしれない.「当時の医学水準では,感染症の診断はおろか発熱と意識障害を伴う病気はすべてチフスとか神経チフスとか言われていたので,腸チフスや発疹チフスではないと考えるほうがよさそうである薬楽の世界へようこそ(6)衛生化学研究室 薬学部 | 新潟薬科大学.」.ベートーベン同様,シューベルトも梅毒だった可能性は高いかもしれない.

著者の手にかかると,はっきりした死因がわからない歴史上の人物がみな斬られまくって梅毒患者に見えてしまうのが難点ではあるが,根拠のない嘘八百とも思えない.後の科学がきっと明らかにしてくれることだろう.

第3章特効薬はないのか!

第3章は梅毒の治療法の歴史について紹介している.今でこそ梅毒は感染のメカニズムも治療法も確立しているが,15世紀から19世紀にわたる400年間にそんなものはなかった.当時は患部(場合によっては全身)に水銀を塗ること,グアヤクという熱帯の木の粉末を煎じて飲むことくらいしか治療法がなかったという.

梅毒の診断は,ドイツの細菌学者アウグスト・パウル・フォン・ワッセルマン(1866〜1925)によって確立された.しかし,治療薬の登場は1928年,アレキサンダー・フレミング(1881〜1955)によるペニシリンの発見を待たねばならなかった.

第4章 時代は変わる

梅毒をはじめとする性病についての科学的知識の蓄積と,「社会の性病汚染」に対する不安の広がりは,政治や社会生活に変化をもたらした.第4章ではこの点について述べられている.

しかし,中世ヨーロッパの奔放な性の在り方が19世紀にかけて変貌した様子の描写がうまくつながっているとは思えない.

すでにのべたように,中世まで人びとは性にたいしてかなり奔放にふるまっていた.ところが17世紀,18世紀になるとセックスというものがしだいにタブー視されるようになった.

この間200年がわずか2行ですまされており,本書は裏と表を持ち始めた19世紀の性を,富裕市民階級(ブルジョア)と労働者階級それぞれの観点から述べ始めている.

労働者階級の子供たちの場合は,せまいところに住んでいたために,大人たちの性行為を偶然見て知ってしまうことが多かった.また農家の子供たちは,牛や馬の交尾をじっくりと眺める機会にめぐまれていた.これにたいしてブルジョア階級の子供たちは,性の知識を授かることのない,セックスとは縁のない世界で大きくなったのである.

ただし,両者に共通しているのは,いわゆる性教育を受ける機会が子供の頃になかったことであるという.

そのまま真っ直ぐ成長し,モラルを備えていれば性病にかかることはないはずだ.実際,ブルジョアの娘たちは「身も心も向くのまま結婚することが望ましかった」のだ.

しかし,ブルジョアの息子たちは箱入りではなかった.結婚前に娼婦のところに入り浸り,初体験をすませ,性の手ほどきを受けていたのだ.そんな男女が結婚しても夜の相性はあまり良くなかったようだ.しかるに,男性は「肉体的欲求を娼婦のもとで満た」すようになり,売春は「かつてどの時代にもなかったほどの活況を呈した」という.

一方の労働者階級,特に都市における彼らにとっては,低賃金労働のため狭い粗末な住居で何人もが同居せざるをえない事情から,強姦も近親相姦も,果ては売春でさえもがめずらしいことではなかったという.

また,余暇などというものももあろうはずがなかった.

プロレタリアたちの生活水準はおそろしく低かった.家族全体の収入のおよそ7割を食費にあて,残りを住宅,暖房,衣料などにまわさねばならなかった.(中略)そのため労働者たちにとって,唯一お金のかからない憂さ晴らしの娯楽といえば,もうセックスしか残っていなかったのである.

かくして労働者階級に性道徳などあろうはずもなく,特に売春は貧困に陥った女性がとることができる唯一の手段だった.この時代,娼婦の数が急増した.性病患者も激増した.娼婦とかかわるブルジョア男子も性病から逃れられなかった.中世の放蕩な性事情とは異なるメカニズムで性病がはびこったのだ.

 

しかし,世の中は性病を蔓延させたまま現代社会を迎えたわけではない.1927年にドイツで公布された性病撲滅法,ペニシリンの発見などによって性病感染者は減っていく.

第5章 エイズ,現代の梅毒か?

梅毒や淋病といった性病が身近な病気とは多くの人は想像だにしないだろう.

むしろ,性交渉によって感染する病の代表格はエイズになったといえる.性交渉を含めた体液・血液によってHIVの侵入を許すと後天性免疫不全症候群,すなわちエイズを発症するかもしれないことは一般常識である.それにもかかわらず,HIV感染者の数は減っていない.

 

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(出典:AIDS/STI-related database Japan エイズ/STI関連データベース図12 )

 

本書の第5章ではエイズについて扱っている.無論,データは2003年時点なのだが,著者は本書をこう締めくくっている.

たしかにヨーロッパでは,80年代のはじめ医者たちが心配したほどにはエイズの蔓延は見られなかった.しかしだからといって,それは安心する理由などにはならないのである.


著者の言うとおり,まったく安心などできないのが現実である.

さらに言えば,日本における梅毒の患者数もここ数年,患者数は増加の一途をたどっている.

f:id:browncapuchin:20160401100228p:plain(出典:http://www.nih.go.jp/niid/images/iasr/36/420/graph/f4203j.gif



本書には,「王さまもローマ教皇も,詩人も画家も,医者も学者も,敬虔な人びともそうでない人びとも,男も女も,歴史に名をとどめた人も忘れられた人たちも,みなそれぞれ(性病で)苦しんだ」(p.9より引用,括弧はブログ管理人による)エピソードがこれでもかと登場する.本書を教訓の書と受け止めるか,性と性病の歴史読み物とみるかは読者次第である.

 

ではまた!

 

【追記】2016年4月2日 
ベートーベンの死因については,鉛中毒という説もあるとのことです.また,シューベルトが梅毒に冒されていたことについてTVで見たとのブックマークコメントをいただきました.たぶんこの番組のことでしょう.

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