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女人禁制の「伝統」は明治以降の相撲界による虚構なのか?【論文:相撲における「女人禁制の伝統」について】

当記事はプロモーションを含んでいます。

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相撲と女人禁制

このニュースが物議を沸かせています.

救命中「女性は土俵から下りて」 大相撲巡業、市長倒れ : 京都新聞

 京都府舞鶴市市長が大相撲舞鶴場所の挨拶中に倒れ,土俵に駆けつけ,救命処置を施した女性に対して土俵からの退場をアナウンスしたとのこと.

これは,相撲の土俵に女性が上がってはいけない,つまり土俵が女人禁制になっているために起きた出来事です.

ところで,ツイッターを眺めていたら,土俵が女人禁制になったのは明治からであるとのツイートがTLに流れてきました.ただ,そのツイートにはそう書いた根拠が一切記載されていません.そう判断できる根拠となる大元、著作・論文があるはずのにそれを示さないのはおかしいと思いました(ツイートの引用はTwitterサービス利用規約で認められていますが,ここでは引用しないでおきます).

ツイート元に対して何か言っても始まりませんので,根拠がどこかにあるはずと思い,「相撲 女人禁制」で検索したところ・・・あっさり元論文がみつかりました(私が学生の頃は,図書館で検索し,もし見つかっても図書館になかったら所蔵先に複写依頼出して郵送しなければならず.....良い時代になったものです)

以下,その論文の一部,特に相撲と女性についての歴史についてなるべく簡潔に紹介します(それでも3700字を超えてしまいましたが).    

論文:相撲における「女人禁制の伝統」について

論文はこれです.

吉崎祥司,稲野和彦(2008)相撲における「女人禁制の伝統」について,北海道教育大学紀要,人文科学・社会科学編, 59(1): 71-86,

Hokkaido University of Education Repository: 相撲における「女人禁制の伝統」について

相撲と女性の歴史については,pp,75-80に渡り,古墳時代,室町時代,江戸時代,明治時代それぞれ文献調査にもとづいた根拠ある資料を記載しています.

古墳時代:日本書紀,室町時代:義残後覚

「相撲は女人禁制であるとされるが,その相撲が初めて史書に登場する場面が,采女による女相撲であることは注目に値する.(中略)采女も雄略天皇に呼ばれ,その場で着替え,その場で相撲をしたようである.そのような特性を持つ相撲を,古来より女性に限って禁止したとは考え難い(pp75-76).

采女(うねめ)とは,日本の朝廷において,天皇や皇后に近侍し,食事など身の回りの雑事を専門に行う女官のこと.大宝律令による募集条件の中に年齢制限・容姿厳選等があったとのことです(采女 - Wikipedia).

初めて相撲が登場した史書は日本書紀です.この時代から相撲が女人禁制じゃなかったことがわかります.

1596年(文禄5年)刊行の「義残後覚」には比丘尼(びくに)が勧進相撲の寄手として自由に相撲に参加できた様子が記述されいることから,

草相撲や野相撲ではなく,勧進相撲でも室町時代には女性が相撲を取ることができたのである.室町時代の相撲において,女人禁制の様子は見ることができない.

間はとびますが,室町時代でも相撲は女人禁制ではありませんでした.

ただ,これらの相撲が「土俵」で行われていたかどうか気になります.そこで土俵の歴史ついてちょっと紹介しておきます.

土俵の歴史

土俵の起源は鎌倉時代に遡るとのことです.土俵 - Wikipediaによれば,鎌倉時代に見物人が直径7-9mの輪を作ったもの(人方屋)に始まり,江戸時代・寛文年間に4本の柱の下に紐などで囲いを作ったものから囲いが俵になって四角い土俵に,さらに延宝年間に丸い土俵になったそうです.以前は俵が二重になってました(二重土俵).

江戸時代

論文に戻ります.p.76には天明5年(1785年)の鎌倉山女相撲の資料が記載されています

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(論文p.76より)

絵から二重土俵なのが見てとれますね.

土俵の中にまわしを纏った「女性力士」がいます.

さらに,やはり裸にまわしの女性力士が土俵のまわりを囲んでいるのがわかります.彼女たちもこれから相撲を取り組むのでしょう.少なくとも土俵が「女人禁制」ではないことは明らかです.

論文のp.77では,1764〜1771年(明和年間)に日本相撲協会前身の「相撲会所」の制度が整っていたにもかかわらず,女人禁制にしていなかったことを指摘しています.

なお,江戸から明治にかけて,女性の相撲観戦が禁止されていた時期があります.でもそれは江戸時代の相撲場が力士の勝ち負けで血気走った男衆の乱闘に女性が巻き込まれるのを防ぐのが目的のようです.女性の観戦禁止は明治10年に解かれています(pp.78-79).

明治〜昭和:裸女相撲の禁止

女相撲は明治から昭和にかけて禁止の憂き目に遭っています.

ただし,これは裸での女相撲に限ったこと.明治23年に警視庁による興業停止命令,大正15年にも同じく警視庁が女相撲の浅草興行への中止命令を出しています.

それでも着衣の女相撲はまだまだ残ってたようで,論文は昭和11年岩手県宮古市津軽石で開催された女相撲の写真資料を引用しています.

写真からは土俵のまわりに四本柱があり,土俵の中に着衣の力士(男性ならこれはありえないでしょう)がいるのが見てとれます.

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(論文p.79より)

 

ここまで紹介したことは論文のほんの一部です.それでも,少なくとも日本書紀から昭和11年まで女性が相撲に関わっていけないことはまったくないこと,さらに,昭和初期には女性が土俵に入り相撲をとっていたことがわかります.

では,日本相撲協会はいつから土俵を女人禁制にしたのでしょう?

女人禁制の「伝統」は明治以降の相撲界による虚構

その真相は結局わからずじまいです.

論文冒頭にはこうあります.

大相撲は神事に基づき,女性は土俵に上げないという伝統がある[1]」,という「日本相撲協会」の見解に基づき,土俵の女人禁制の姿勢が維持されている.この禁制は力士のみならず,行事,呼出し,親方など土俵に上がる者すべてに適用される.([1]は鈴木正崇『女人禁制』吉川弘文館, 2002年,論文巻末文献より)

この文に続いて,わんぱく相撲東京場所荒川区予選5年生の部で準優勝した女子児童が蔵前国技館での決勝大会への出場を日本相撲協会から拒否されたこと,女性初の官房長官だった森山眞弓氏と,これまた女性初の大阪府知事だった太田房江氏がそれぞれ内閣総理大臣杯,大阪府知事賞を土俵上で手渡すことを日本相撲協会に申し入れたものの拒否された事例が挙げられています(p.72).

でも,論文にはこの「伝統=土俵は女人禁制」の根拠はどこにもあげられていません.明文化されたものがどこにもないので根拠のあげようがないのでしょう.

 

ちなみに,日本相撲協会HPの目的と運営にはこう記載されています.

太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的としています。(協会の使命・組織 - 日本相撲協会公式サイト

 

ですが,これまで見たように,少なくとも室町以降の相撲の歴史の一部は神事とかけ離れているとしか思えません.

もちろん,神事相撲が今だにいくつかの神社で保存されていたり,塩をまく・四股を踏むなど神道性を帯びた所作が江戸時代にすでに始まっていたこと等から,相撲と神道に長い関わりがあることそのものは「疑う余地はない」と著者は述べています(p.85).

しかしながら,神社仏閣の境内で行われていたとは言っても勧進相撲は要するに興行だったのです(旧国技館は回向院の境内に建設されました).明治10年にこんな布達が出されて相撲界はとても困ったようです.

内務卿の大久保利通から神社仏閣の境内での見世物興行の禁止の布達が出され,回向院で勧進相撲興行が行えなくなるという事態が出来したのである.ここには注目すべき点が2つある.まず第1に,明治初頭,相撲はまだ見世物の一種とされていた点,そして第2に,古くから神道と密接な関わりがある相撲が,境内での興業を禁止されかけたという点である.「古くから神道との関わり」を持つ相撲が,神社仏閣の境内から排除されかねないというのは,まさしく由々しき危機的事態であっただろう(相撲界の精力的な交渉によって,興行場所に関しては許可が得られたが).(論文,p.82)

この文からは,(興行主としての)相撲界と神道とのかかわりは単に興行場所が寺社仏閣だったにすぎない,とも読み取れます.

いずれにせよ,明治17年の展覧相撲の開催などで相撲禁止論は影を潜め,明治42年(1909年)に相撲は国技となりました(論文,p.83).国技としての相撲の歴史はまだわずか109年,相撲の歴史の一部でしかないのです.

相撲が国技となる前に,裸女相撲は禁止されました.でも裸女相撲の禁止と土俵が女人禁制であることはまったくの別問題のはずです.

では,女性が土俵に上がることを,いつ,どの団体が禁止したのでしょう?.


論文はこう締めくくられています.

神道が持つ女性に対する穢れ思想と,これにもとづく女人禁制というものが全面に出てきて,相撲に大きな影響を与えたということについては,それほど古い歴史があるようには思えない.相撲と神道との関わりは古くからのまさしく「伝統」であるが,「相撲は神道との関わりがあるから女性を排除する」というような論理は,明治以降に相撲界の企図によって虚構されたものであると考えられるのである.(pp.85-86)

 

女人禁制の「伝統」は明治以降の相撲界による虚構.


繰り返しますが,このエントリーで紹介したのは論文のごく一部です.ぜひ論文を読んでみてください.情報の出典に当たることはとても大切なのです.

ちなみに冒頭で紹介したツイートに挙げられていることはほとんどこの論文で述べられています.

ではまた

 

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