「普通」というタイトルのエントリーにモヤモヤした
このところ,立て続けにタイトルに「普通」と入ってるエントリーを目にしました.
①普通の人の貯金はどれくらいあるのか - ゆとりずむ
②普通の人がお金のことについて勉強しておくべきこと - ゆとりずむ
③普通の人は何をあきらめるべきなのか? - RepoLog│レポログ
いずれも多くのはてなブックマークが付き,筆者も読みました.でも読んでいてずっとモヤモヤしてました.
その原因は「普通」にあります.
③では「平均値=普通の家」とされてましたが,「平均値は普通ではないよ」というブックマークコメントがはてなスターを最も獲得.これは③の読者に平均=普通とは思っていない方が少なからずいたことを示唆されます.一方,①,②には「普通」の定義がなく,「普通」の人の貯金がどれくらいなのかもお金の勉強を誰がしておくべきなのかもわからずじまい.
一体全体,彼らはなぜ「普通」を用いたのでしょう?
そして,「普通」とは何を指すのでしょう?
グーグルで「普通」を検索すると「いつ,どこにでもあるような,ありふれたものであること.他と特に異なる性質を持ってはいないさま」と出てきます.広辞苑(第五版)では「①広く一般に通ずること.②どこにでも見受けるようなものであること.なみ.一般.」とされてます.
しかし,なにが「普通」なのかは時と場合によって変わります.
「普通」は時代によって変わる
次の図は日本を100人の村に例えた場合の未成年・成年の男女別人数,数字はそのうちの喫煙者数です.
左2つが昭和40年,右二つが平成27年を表します.


日本を100人の村に例えると,喫煙者は昭和40年(左図)は成人男性30人中25人.
一方,平成27年(右図)になると喫煙者は成人男性40人中12人(統計データを含め,詳しくは日本がもし100人の村だったら喫煙者は何人いて禁煙の飲食店は何軒あるのか? - おまきざるの自由研究を参照).
思えば昭和40年代,バスの車内,列車の中,飛行機の中,上映中の映画館内ですら紫煙でもうもうとしていました.それが「普通」でした.
一方,今や映画館は言うに及ばず飛行機も全面禁煙.残念ながら東海道山陽新幹線にはまだ喫煙ルームがあるものの,新幹線に漂う煙草のニオイは決して「普通」じゃなくなりました(東海道新幹線で喫煙ルームから漂ってくるニオイが気になる方は新幹線の喫煙ルームを避けるのに最適な座席まとめ - おまきざるの自由研究をお読みください).
話を戻します.次の例として,昭和61年と平成27年での世帯構成の違いを見てみましょう(データ元はhttp://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa16/dl/02.pdf).

昭和61年で最も多かった世帯構成は夫婦と未婚の子のみの41.4%.
かたや平成28年.お察しの通りこの値は小さくなります.

夫婦と未婚の子のみ世帯は29.5%と割合では最も多いものの,単独世帯26.9%および夫婦のみ世帯23.7%との差はあまりない,という結果に.
昭和61年時点なら夫婦と未婚の子のみ世帯は普通の世帯と考えてもやぶさかではないと思います.
でも平成27年ではどうでしょう?
総務省統計局家計調査の用語の説明(http://www.stat.go.jp/data/kakei/2004n/04nh02.htm#j20501)を読むと,「夫婦と子供2人の4人で構成される世帯のうち,有業者が世帯主1人だけの世帯に限定したもの」を標準世帯としています.しかし,それは現実に即しているとは思えません.夫婦と未婚の子のみ世帯自体がもはやマジョリティではないのですから.

「普通」はその人をとりまく状況で変わる
二つの事例が示すように,何が「普通」なのかは時代とともに変化します.このため,親世代の言う「普通」と子ども世代にとっての「普通」は違ってきます.
さらに言うと,同じ時代であっても,何を「普通」と捉えるかはそれぞれの人をとりまく状況やその人が持っている情報によって異なります.
卑近な事例になって恐縮ですが私事を持ち出します.
私が進学した高校は私服OK.でも入学式はほとんどの同級生が中学の制服のまま登校.それから数日間のオリエンテーションが続きますが,制服のまま過ごした同級生は少なくなかったです.
みんな手探りで登校してる中,やがて一人,二人,三人と私服で登校するようになり,半月もすれば制服組はごくわずか.マジョリティは圧倒的に私服組になり,誰もが「普通」に私服で登校するようになりました(制服風の服装で3年間通した剛の者もいましたが,それも私服なので・・・).
兄は制服の高校に通っていました.しかし,いつの間にやら学生カバンがペッタンコになったり,制服の内側に龍の刺繍が施されたりしておりました.でもそれは兄の環境にとって「普通」のことだったのです(同調圧力かもしれませんが).そんな状況を私も見聞きしてました(そういう情報は世界が違っても聞こえてくるものです)ので,何ら違和感はありませんでした.
次の事例です.
私は仙台出身です.小学校のときは学校行事に芋煮会が組み込まれていたほど芋煮会はごく身近なイベントです.芋煮会会場は基本的に河原です.河原で薪を燃料に火を起こし,サトイモ・豚肉・仙台味噌を用いた鍋料理を作ります.
最近,ツイッターのTLにこんなのが流れてきました.
驚いたことにノルウェーにはコンビニのサークルKがいっぱいあるのですが、
— セロ (@sero_horizon) 2017年9月3日
さらに驚いたことに
ノルウェーのサークルKには薪が売ってる…… pic.twitter.com/KyX8h3Xw3w
ですが,仙台出身者にとってはコンビニで薪が売られていても何とも思いません.その理由は次のツイートが如実に物語ってくれてます(子どもの頃はそんなに売ってませんでしたけどね).
↓「驚いたことにノルウェーのサークルKでは薪を売っている」とのことだが、仙台あたりじゃ芋煮会のためにコンビニで薪を売っているのは極あたりまえなので、僕たちはノルウェーに生きていたのか。 pic.twitter.com/Z60Qyo15Vv
— せんだい歴史学カフェ (@SendaiHisCafe) 2017年9月4日
ここまで見たように,何が「普通」なのかは時代によって,そして自分を取り巻く環境によって変わります.同じ時代であっても私と兄の「普通」が違っていたように,薪を売ってるコンビニが「普通」にある地域とそんなの「普通」じゃない地域があるように.
「普通」とは自分の観測範囲内でのマジョリティ
ここまでの話を踏まえて「普通」を定義するならば,「普通」とは自分の観測範囲内でのマジョリティと言える,と筆者は考えます.
観測範囲は個々人によって違います.だからこそ「普通」を定義しない「普通の人」というタイトルのエントリーを読むと,それぞれの人がそれぞれの観測範囲内の「自分を含めた普通の人」を思い浮かべ,多様なコメントが集まりやすいのでしょう.
逆に「普通」とはこうだ,と定義すると「それは自分にとって普通じゃない」と思う読者が続出することにつながりかねません.
「普通」を定義しないエントリーを読むときの物差しは読者一人ひとりにゆだねられます.それはある意味あざといと思う一方,何が自分にとって普通なのか,それは周りの人にとっても普通なのか,ということを考える良いきっかけになるかもしれません.
さて,あなたにとっての「普通」とは何でしょうか?